SEMI通信 2017年2月号 Report 1

SEMICON Japan 2016
「オープニングキーノート 未来へ」レビュー

コンピューターとメディア、今こそ再発明の時

 

近代文明と現代社会を支える基盤であるコンピューティング技術が、今、根底から変わろうとしている。人工知能や量子コンピューターなど、これまでとは原理も性質も異なる新しいタイプのコンピューターの開発が進み、その一部の活用が既に始まっている。また、人と機械のかかわりも大きく変わろうとしている。人々の会話や金融の取引、商品開発、そして社会インフラの管理などを、当たり前のように仮想世界の中で行うようになり、仮想世界と現実世界の境はもはやなくなってきた。

近未来の世界は想像を超えた姿へと変化し、人々の価値観や文化が大きな変貌を遂げつつある。新たな世界で生きるため、私たちは何を求められているのだろうか。SEMICON Japan 2016の初日12月14日に開催された「オープニングキーノート 未来へ」では、満員の聴講者を前に、コンピューティング技術とメディア技術の最前線を歩む世界的な研究者2人が登壇。それぞれ独自の視点から、最先端技術の先にある未来世界を展望した。

 

膨大で複雑な情報を生かす新しい技術

まず、IBM Research Science and Solutions Vice PresidentのDario Gil氏が登壇し、「The Cognitive Era and the New Frontiers of Information Technology」と題して講演した。

WebとIoTを活用することによって、人間の能力では把握し切れないほど膨大で複雑な情報が生み出されるようになった。こうした情報を余すことなく活用し、新しい価値を創出するため、人が持つ能力のさらなる拡張寄与を目的とするコグニティブ・コンピューティング、さらには量子コンピューティングの研究開発が進められている。そして、その一部の社会実装が始まり、困難な社会課題の解決に向けて貢献し始めている。こうした中でGil氏は、IBM社の12の研究所、約3000人の研究者を率い、次世代を担う新しいコンピューティングの姿を探求し、そこで求められる技術を創出している。

「これまでは、処理手順を記したプログラムに沿って高度な演算を行うタイプのコンピューティングを基盤としたICT技術が、数々の革新をもたらしてきました。ところが、従来のコンピューティングでは対処できない問題が未だ数多く残っています。今、そうした困難な問題の解決に挑むための新しいタイプのコンピューティングが求められています」とGil氏は言う。そして、IBM社は人工知能(AI)と量子コンピューティングの2つに注力。研究開発と社会実装に向けた取り組みを推し進めている。

 

AIは社会実装のフェーズに入った

このうちAIについては、IBMは人が持っている専門知識や能力をさらに拡張させる支援をするもの(Augmented Intelligence)と位置づけ、未来社会を支える基盤技術になっていくことを誰もが確信するようになった。2011年、IBM社のコグニティブ・システム「Watson」がクイズ番組「Jeopardy!」に出場し、クイズのチャンピオンに勝った。これによって、自然言語で投げかけられた幅広い質問を理解し、的確に答える技術の威力が広く知れ渡った。そして、自ら学習するコンピューターを社会実装する試みが相次いで始まった。

Gil氏によると、AIの社会実装が加速している背景には4つトレンドがあると言う。

  1. 高度な機械学習技術であるディープラーニング技術が急激に発達したこと。この技術によって、画像認識や音声認識は、驚異的なペースで精度が上がった。かつての認識技術では人間の視覚や聴覚能力には遠くおよばなかったが、ここ4,5年で人間を超えるレベルにまで向上した。
  2. AIの学習に欠かせない大量のデジタル化したデータを簡単に入手できるようになったこと。ウエブやIoTの発達によって、入手可能なデータは年を追うごとに増え続けている。
  3. ニューラルネットの学習に利用するコンピューターの演算能力が向上していること。GPUなどの処理能力が高まり、大量のデータを短時間で学習できるようになった。そして、将来に向けて、データが生まれる現場での学習が可能なニューロモーフィック・チップの開発も始まっている。
  4. AIの重要性が広く認知され、この分野への投資が増大し、優秀な研究者が数多く集まっていること。AI技術の高度化はもとより、その利用に向けても人材が集まっている。

AIは、既に様々な分野に社会実装されて、大きな成果を上げている。例えば医療分野では、癌患者の治療の方針を決めるミーティングにWatsonを導入して、何百万、何千万もの研究論文や臨床結果を基に、医師だけでは気づかない所見を見つけ出せるようになった。さらにこれからは、患者それぞれの遺伝子や腫瘍の遺伝子の配列を決定し、これをコグニティブ技術を活用して分析することで、病状や個人差に合った治療法を探り出すことができるようになるだろう。

今後、半導体技術、材料技術などが進歩することで、AIの効率は1万倍以上高まる余地がある。このようにAIの能力が高まる一方で、そのことに恐れを抱く声が聞かれるようになった。しかしGil氏は、「AIは人間の能力をさらに強化してくれるものです。膨大で複雑な情報を対象にして、人間が的確な意思決定を下すための支援をしてこそ価値があります」と強調した。

 

複雑な現象を忠実に再現する量子コンピューター

一方、量子コンピューターは、AIのようには、その価値が広く認知されているわけではない。世の中が価値を認めている技術の方が重要だと考える人は多いが、実は多くの人が価値に気づいていない技術の方がビジネス的には価値が高い。先行者利益が得られるからだ。莫大な情報を、極めて短時間で演算できる量子コンピューターは、まさにそのような技術の代表例だとGil氏は言う。

量子コンピューティングとは、情報の表現法を根本的に変えて、従来のコンピューターでは実現不可能な圧倒的演算性能を得る技術である。扱う情報が多いほど、そして複雑になるほどその効果が際立ってくる。

これまでのコンピューターは、データを“0”もしくは“1”のいずれかに振り分けるビットで表現し、これを演算していた。これに対し量子コンピューティングでは、“0”と“1”という2つの状態を同時に重ね合わせることができる「キュービット」でデータを表現する。例えば、4ビットの数では、2の4乗種類の数の中の1つをだけを表現できる。これに対し、4キュービットの数では2の4乗種類のすべてを一度に表現可能だ。そして、キュービットで表現したデータを演算することで、重ね合わせた数を一気に並列演算できる。

量子コンピューターを使えば、複雑な自然現象や社会現象を極めて短時間でシミュレーションできるようになる。従来のコンピューターでは、自然界や社会でごく日常的に起きている現象でさえ、精度よく再現することができないのが現状だ。例えば、分子を構成する原子の結合距離などの計算では、最高のコンピューターを使っても実際とは異なる答えしか得られない。こうした問題の解決に量子コンピューターが貢献できる。

Gil氏は、「現在は、初めてのコンピューターの実用化をがむしゃらに目指していた1940年代に似ています。これから何十年間にわたって研究開発の道のりが続き、その過程で社会に大きな影響を与えていくことになるでしょう」と言う。IBM社では、自社で研究開発を進めるだけではなく、外部企業とのコラボレーションも積極的に進めており、新時代を拓くコンピューティング技術の研究開発への参加を呼びかけた。

 

21世紀は“魔法の世紀”

次に、筑波大学 助教 デジタルネイチャー研究室主宰の落合陽一氏が「魔法の世紀」と題して講演した。SEMICON Japanのキーノートに、20代のスピーカーが登壇したのは初めてである。

 情報を伝達するメディア技術に注目すると、20世紀は“映像の世紀”と呼ぶことができるだろう。20世紀始めに登場した映画、そして後半に発達したテレビやビデオが、遠くの場所の様子やそこにいる人々の生活をありのままに伝え、さらには記録できるようになった。現在では、パソコンやスマートフォンを通じて、仮想世界の中の情報を、あたかも現実にあるかのようにイメージとして見せることができるようになった。

 落合氏は、「21世紀は“魔法の世紀”と呼べるのではないでしょうか」と言う。同氏がいう魔法とは、仮想的な世界の中だけでモノの存在や動きを伝えるのではなく、現実の空間に人間の五感に訴えるモノを自由自在に生み出す技術や表現手法を指している。目の前の空間に、見て、聞いて、触れられるモノが突然現れれば仕組みの見えない魔法となる。落合氏が主宰するデジタルネイチャー研究室では、こうした21世紀の魔法と呼べる技術や表現手法を探求し、その実現可能性や社会性における是非を議論することを目的としている。

 

映像もバーチャルリアリティの一種である

これまでのメディアに使われていた技術や表現手法では、ありのままの現実をいかにもっともらしく仮想的に表現するかを追究し続けてきた。いわば、バーチャライゼーションを磨いてきた歴史だったと言える。

13世紀から18世紀に掛けては、絵画や彫刻などで様々な表現手法が発達。そして、19世紀の終わりから20世紀初頭に掛けて映画が発明され、動くモノを仮想的に伝え、記録できるようになった。ただし、テレビやビデオを含む従来メディア装置は、「現実にあるモノの存在や出来事の有様を実感できるものではありませんでした」と落合氏は言う。

例えば、アポロ宇宙船が月に到達し、月面を宇宙飛行士が歩いたことは映像で見て世界中の人々が知っている。しかし、実際に月に行ったことを人々が確認できる手段があるわけではない。映像を通じて見たことを信じているだけだ。「映像と物質の間には未だ垣根があります。新しい技術を活用してメディア装置を再発明し、同時に新しい表現を生み出すことで、その垣根を越えることができると考え、探求をしています」と落合氏は言う。

かつて社会学者のマックスウェーバーは、「科学技術によって社会は脱魔術化した」と言った。それまで、食べ物に熱を加えれば、なぜか病気になりにくくなるという魔術のような事実だけがあった。これが、科学が発達したことで、病気を引き起こす細菌を熱で殺していたから病気を防ぐことができる、という原理が分かった。それまでの魔術が、科学によって技術になったのだ。

ところが1980年代になると、もう一度世界は魔術化してきたと言われるようになった。例えば、ファーストフードがなぜあれほど安いのか多くの人は理解できないまま食べている。また、なぜクレジットカードでモノが買えるのかも、詳しくは分かっていない。パソコンやスマートフォンも、中にある半導体がどのように動いているのか分からないし、その中のソフトウエアは存在すら見えない。ところが、こうした多くの人にとって仕組みが分からない魔術のような仕組みを使って、便利な暮らしを送っている。

 

再び魔術化する社会の可能性を探究

落合氏が考えるデジタルネイチャーでは、最新の科学技術を使って、魔術化を加速していった先に何があるかを探究している。その技術的なアプローチは、仮想的なモノと物質としてのモノの境をなくすことにある。そしてアーティストでもある落合氏は、そうしたコンセプトを作品として具現化している。

同氏はその一例として、2015年に発表した「Fairy Lights」と呼ぶ作品を紹介した(図1)。映像のような物質、物質のような映像を作る試みだ。非熱加工で用いる超時短パルスレーザーを使って空中に微細なプラズマを発生させ、プラズマの点で映像を描く。このプラズマには触感があり、触ると実体があるように感じることができる。具体的な作品として、落合氏は空中を飛び回る妖精をプラズマで描き出した。この妖精は触れられる。こうした技術を活用することによって、3次元空間に直接物質として振る舞うものを作ることができるようになる。

図1

図1 プラズマで触感のある画像を空中に作り出した「Fairy Lights」

さらに、プラズマだけではなく、超音波を使って触覚を再現する技術も試している。金属素材や木の素材を、制御した超音波で振動させることで、木を触っているにもかかわらず金属の滑るような触感を作り出したり、そこに映像を当てはめることで紙なのだが指先は木であるようにザラッとした触感や、ヌルヌルとした触感を感じ取れるようにした。

また、複数音源から照射した超音波の位相差によって、空間の任意の位置に焦点を作り出し、触感を再現する技術も開発している。この技術を応用すると、軽いモノを空中に浮かせたり、自在に動かしたりできるという(図2)。そして、プラズマと超音波を組み合わせて、多種多様な触感を空間上に再現する技術も研究している。

図2 超音波の干渉で空中にモノを浮かし自在に動かす

現代社会の人々は、視覚と聴覚に偏ったメディアを通じてコミュニケーションを取っている。しかし、現実世界での人間は、五感をフル活用して身の回りで起きていることを感じている。最先端の技術を生かすことで、五感のすべてに訴える未来のメディアが生まれる可能性がありそうだ。

 

レビュー執筆:株式会社エンライト伊藤元昭