35 years of Standards

SEMIスタンダード35年のあゆみ

シリコンウェーハ標準化のニーズ

SEMIの発足から3年が経過した1973年に、シリコンの供給不足が発生しました。当時、シリコンウェーハには2000種類を超えるユーザー仕様が乱立していました。ある仕様を満足できないウェーハは、他の仕様に振り向けることは難しく、廃棄するしかありませんでした。ウェーハ製造においてはオーダー毎に絶えず装置の再調整を余儀なくされ、そのために時間ロスとコストアップが生じる結果となりました。それにもかかわらず、「貴重な自社技術」情報が流出しかねないとして、半導体メーカーとそのサプライヤ各社は、シリコンウェーハの標準化には反対でした。各社はシリコンウェーハ仕様を自分たちの財産であると考えていました。しかし、顧客がシリコンウェーハを入手できなければ、かれらのビジネスに支障をきたすことになるのです。

いくつかのウェーハ外形寸法を標準化すれば、シリコンを効率的に使用することができるとの信念から、1973年5月4日にSEMI立会いのもと、ウェーハメーカー数社が打ち合わせを持ち、標準化が可能であるかどうかを議論しました。昼食を終えるまでに、顧客要望に基づいた2インチおよび3インチウェーハの外形寸法案が作成されました。第2回ミーティングが同月後半に、第3回が10月に開催され、翌年2月の第4回ウェーハ標準化会議までには80~85%のウェーハが、前述の素案に準拠して出荷されるようになっていました。この会議で2インチおよび3インチウェーハの外形寸法規格は圧倒的多数で承認され、これ以後、SEMIが標準化の業務に取り組みことになりました。

「SEMIスタンダード委員会」の発足

ウェーハ標準化会議は1975年5月のセミコン・ウェストにおいて、「SEMIスタンダード委員会」としてスタンダード活動の方針決定と管理のための組織に再編されました。同時にスタンダード開発活動は、複数の新たな組織された小委員会(シリコンウェーハ、サファイヤ・オン・シリコン、パッケージング、ホトリソ処理、装置、ウェーハキャリア、ケミカル)に移管されました。1976年6月までにASTMとSEMI間で覚書が交わされ、翌7月にはSEMIスタンダードBy-law(全2ページ)ができ、SEMIの標準化活動の仕組みが急速に整備されました。

これらの動きは必要とされていたことなのです。当時ウェーハキャリアはありましが、ウェーハは手動で、1枚ずつピンセットを使って取り扱われていました。キャリアは確かにウェーハの持ち運びを容易にはしましたが、標準ウェーハと標準キャリアを組み合わせることが良案であることが明らかになりました。

1978年、SEMIスタンダード集 出版

はじめてSEMIスタンダード集が出版されたのは1978年でした。ファブでの使い勝手を考慮して、耐酸紙に印刷されたルーズリーフ形式の装丁でした(当時のファブは現在とは別物でした)。それにはSEMIスタンダード3規格が収載されており、さらに多数のASTMの測定検査標準が参考資料として付属しSEMIスタンダード参加者全員の写真付きというものでした。

国際標準化に向けての取組み

次なる課題はSEMIスタンダード活動をヨーロッパと日本に拡大することでした。サプライヤ諸企業と、多くの半導体メーカーが積極的に参加するようになっておりましたが、中心は米国企業からで日欧からの参加者はわずかでした(どうすればSEMIスタンダード活動を日欧でも展開することができるか?)。米国から手を伸ばすのが最善策でしたが、それぞれの地元の協力がなければ効果があげられませんでした。当時、セミコンショーを企画するための地区委員会はありましたが、米国外にSEMIオフィスはありませんでした。SEMI組織全体が発展することが必要でした。

1981年3月のセミコンヨーロッパにおいて、同地区におけるSEMIスタンダード活動を振興させる目的で、ヨーロッパスタンダード「部会(Chapter)」が発足しました。そして、初期の国際展開の年を締めくくる出来事として、第1回のJEIDA/ASTM/SEMI/DIN合同会議がシリコンウェーハ関連トピックを議論するために開催されました(双方とも2006年に25周年を迎えその後も活発に活動中)。また、第1回ヨーロッパ標準化会議が、セミコンヨーロッパ1983期間中に開催されました。多くの参加者を得たものの、業界が求める標準化にSEMIが十分に貢献をできるかは疑問視されていました。

1985年にSEMIジャパンが東京にオフィス開設しました。JEIDAのご協力を得て共催したテクニカルプログラムにおいて、SEMI設備委員会スタンダードのSECS-IおよびSECS-IIの日本語版改訂ドラフトが配布されました。

1985年末までにSEMIスタンダード活動は以下のような重要なステップを踏襲しています。

  • 北米においては、業界に有益なスタンダードを開発する団体としての地位を確立した
  • 展示会や他のプログラムを通じてSEMIの知名度は高まり関係団体との連携も深まったことを踏まえて、ヨーロッパと日本で人的かつ組織的交流を強化した
  • ASTMとの強力な信頼関係、および、JEIDAとの良好な関係を確立した

セミコン・ヨーロッパ1986において、70名の参加を得てSEMIスタンダードの紹介およびヨーロッパのメンバーが活動に参加をすることの意義についての講演が行われました。今回は1983年時点に比べてより前向きな受け止めがなされ、翌年春までにヨーロッパでスタンダード活動を開始するためのアクションプランが作られました。

SECS-IおよびSECS-IIの日本語版が1986年、SEMIジャパンにより発行されました。さらに、SEMIスタンダードと地元のユーザー要求を議論するためのシリーズセミナー「STEP/Japan」がスタートしました。これはSEMIスタンダードの普及に向けての重要な活動であり、その結果として同年12月のセミコン・ジャパン期間中に日本におけるSEMIスタンダード組織が生まれ、リーダーが任命され、活動が開始されました。日本の主要メンバーの中には北米メンバーと共に、1981年以来セミコン・ジャパン期間中にテクニカルセッションの開催に取り組んでいた方がおられました。このような過去5年にさかのぼる人的関係が日本でのスタンダード活動開始にあたって確かな基盤となったのです。

1987年3月のセミコンヨーロッパで開催されたキックオフ会議を皮切りに、欧州スタンダード活動が慎重に滑り出しました。これを端緒として、米国から議長1名と日欧からのメンバー2名を擁した国際規約タスクフォースが組織され、1988年2月までに国際的スタンダード活動を運営するための規約を策定することとなりました。

1988年はSEMIのSemiconductor Equipment and Materials Internationalへの名称変更で幕を開けました。同年のセミコン・ウェストでSEMI役員会は、初のヨーロッパと日本のメンバーを選出しました。国際規約タスクフォースは改訂期限に間に合うように、「スタンダード委員会」に新規の規約案を提出し、これが承認されました。これにより「スタンダード委員会」は「国際スタンダード委員会(ISC)」に改組されました。かくしてSEMIスタンダード活動は、半導体産業が最も盛んな日米欧3地域において確固たる地歩を築いたのです。

1989年にSEMIはブリュッセルにヨーロッパオフィスを開設し、他の諸活動と共に、欧州での標準化活動基地として必要な地元でのサポートを開始しました。

SEMIとSEMATECH

米国の主要半導体メーカーが集まって共同R&D組織として1987年に設立されたSEMATECHから、さらなる顕著なスタンダード活動へのサポートが得られることになりました。同社の活動が進展するに伴い、SEMIスタンダード活動におけるSEMATECHの取組みも1990年にかけてますます重要なものになっていきました。このことは、SEMIへの強い追い風となりました。というのもSEMIのメンバー企業は半導体メーカーから見てサプライヤであり、スタンダード分野におけるSEMIの参加企業は殆ど彼らのサプライヤ企業であったからです。サプライヤ企業とその顧客の双方に同等に受け入れられるようなスタンダードを開発する上で、半導体メーカー側の視点は重要です。この時期に同様の組織が日欧でも創設され、両地域でもサプライヤとユーザーのバランスが大きく改善されました。

SEMIスタンダードが様々な地区で開発されるようになるにつれて、多くの疑問が寄せられるようになりました。「これまでのSEMIスタンダードのほぼ全てが米国で開発されているが、北米委員会がそれらのオーナーとなっているのか?」「ヨーロッパや日本地区でスタンダード改訂の必要性を感じたら誰に言えばいいのか?」「自分たちで改訂していいのか?」「もし誰かが誤った開発を行った場合にだれが(既存のSEMIスタンダードとの)関係を修復するのか?」等々の質問でした。これらの疑問をよそに、日本と北米地区の協力による成果としてFPD基板の最初のスタンダードが成功裏に開発・出版されました。

タイムカプセル: 1990年にはインターネットユーザーが漸く10万人を超えたとばかりで、電子メールは世界的にも一般的でありませんでした。レターバロットは郵便で行われていました。もっと良いコミュニケーション方法が切望されていた時代です。

これらの疑問は1991年までに顕著になり始め、どのようにすれば国際的なSEMIスタンダード開発プロセスをより良く統合できるかについての再考が求められました。日米欧3地区のスタンダード活動のリーダーが出席した年次プランニング会議開催を端緒として、どのように協力し、各々の思考や仕事の進め方の文化を理解することができるかを探りました。3日間という時間はあまり十分ではありませんでした。旧知ではなかったメンバー全員が少なくとも知り合えるようになったという事実はあるにしても、上記の課題を十分に理解し得たとはいえませんでした。

SEMIスタンダード集 日本語版

1991年末までに、日本では13の新規スタンダードの審議過程を無事完了していました。1992年にはさらに13規格を扱い、SEMIスタンダード集の日本語版を発行しました。1994年までにヨーロッパは10規格を開発しました。しかしながら、各地区の活動の大部分は、それぞれ独立して運営されていました。当時、ジュネーブ、幕張、サンフランシスコで開催されていた大規模な展示会には他地区のスタンダードメンバーも参加し、多くのスタンダード会議で協同作業が行われていましたが、出来上がった標準は、依然として開発に着手した地区のものと看做されていました。すべてのSEMIスタンダードが国際標準であり「SEMIスタンダード集」として出版されていたにも関わらず、改訂活動は親地区(当初開発を担当した地区)が開始し、その地区からバロットが発行するということが行われていました。

さらなるSEMIスタンダードの充実と必要性を求める業界の動きがありました。米国政府科学技術政策局との協力の下、1992年、(米国)国家半導体技術ロードマップが国家半導体諮問委員会によって開始されました。米国半導体工業会(SIA)が中心になってこの活動をサポートしました。このロードマップは、隔年開催のSIA主催半導体国際技術ロードマップ会議に発展しましたが、その後1998年には、ヨーロッパ、韓国、日本、台湾にある4つのSIA協力団体も参加して運営されるようになりました。ロードマップには技術の将来の方向性が詳細に示されており、具体的な新規スタンダード開発や既存スタンダード改訂の必要性にとっての有益な指針となりました。

地区間の協力、相互信頼のレベルも序々に改善され、ついには地区間の相違がほぼ無くなるところまでに達しました。このことは、日々のスタンダード会議運営、スタンダード開発、メンバー間協力の進め方の詳細を記載した「プロシージャーガイド」の発行によるところが大きかったといえます。プロシージャーガイドは、ボランティア委員とSEMIスタッフの尽力により、2002年12月に初版が発行されました。2008年の今となっては、日常的に電子メールによる意見交換がなされ、国際電話会議やドラフト文書が頻繁かつ迅速に配信されるようになり、電子バロットが当たり前となって久しいこともあり、上述の国際的スタンダード開発プロセスが進化を遂げるのにどれほどの時間を要したのかを忘れがちです。

今日ではSEMIスタンダード委員会に登録しているメンバーの数は、36カ国の880以上の企業や団体を代表する1,800名にのぼります。800近くのSEMIスタンダードと安全ガイドラインが出版されており、今後も必要に応じでその数を増すでしょう。それらは電子メール、インターネットダウンロード、CD-ROMでの入手が可能です。

現在、SEMIスタンダードは、ISOやIECの米国窓口団体であるANSI(American National Standards Institute)の認証取得に取り組んでおり、その大詰めを迎えています。また、SEMIスタンダードは既に、ナノテクノロジ関連のIEC TC113の公式リエゾン団体として位置づけられています。つまり、世界的に受け入れられ、使用されているのです。基本的にあらゆる半導体ファブの、あらゆる装置がSEMIスタンダードに準拠しているといっても過言ではありません。ナノテクノロジ分野の文書化されたスタンダードの必要性に関する、非公開の国際ワークショップがNISTで最近開催されましたが、そこでもSEMIが重要な標準機関であり、そのワークショップの参列者達(カナダ、フランス、ドイツ、英国、日本、インド、韓国、南アフリカ、台湾、米国の計量研究所、並びに、ANSI、ASTM、IEC、IEEE、ISO、OECD、VAMASの諸団体)にとっての仲間であることが疑問の余地なく受け入れられました。

SEMIスタンダードのこれまでの35年間は大成功の歴史であったといえます。ここに心からおめでとうを言わせていただきます。

著者紹介

ロバート(ボブ)・スケース氏は1975年以来、SEMIスタンダードのリーダーとして活発な活動を続けてこられました。当初の「SEMIスタンダード委員会」およびその発展型であるISC(国際スタンダード委員会)の創始メンバーの一人で、ISC規約小委員会委員長を発足から2006年まで務め、SEMIスタンダードの生き字引ともいえる存在です。NISTを引退した現在では、ナノテクノロジ分野のISO TC 229およびIEC TC 113においてSEMIを代表する米国の専門家として活躍中です。